千葉大生の右寄りなブログ。日常の出来事から政治批判まで。
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制作著作:猫の毛
県立船橋高校理数科卒。
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
もちろん非核推進派
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コガネモチ
若者の言葉が亂 れてゐると曰 ふ。
本當 にさうだらうか。
例へば若者が良く使ふ「ぢゃ」と云 ふ言葉。
これは、「では」の變化 した物である。
ダ行の言葉がザ行の言葉に變化するとは考へ難い。
普通に考へて、ザ行の「じゃ」よりも同じダ行の「ぢや」に變化するのが適當ではなからうか。
これらを使ふ若者は、恐らく無意識に使つてゐるのだらう。
しかし、人間の紡ぎ出す言葉と云ふ物は、常に法則性をもつてゐる。
そこには、社會 への反撥 もあるだらう。
しかし、ここで「じゃ」の代用として「ぢゃ」が選ばれたのは、若者たちが日本人として、一般的な感覺 をもって無意識の内の「日本語の法則性」に則つてゐるのである。
態々 「ぢ→じ」變換を斷行 した國語 審議會こそ、言葉を亂した張本人ではないだらうか。
また、同樣 に、國語審議會は「は→わ」「を→お」「へ→え」變換を斷行した。
「すなはち」→「すなわち」
「變はる」→「変わる」
等がそれである。
しかし、假 にこの原則に則つたとすれば、「私は」ではなく「私わ」とせねばならぬであらう。
にも關 はらず、敢へてその點 のみ例外としたのは、如何なる信念によるものか。
「表記の慣習による特例」等と謂つてゐるが、全き理解し難い。
一方、若者たちは忠實 に「は→わ」變換を行つてゐる。
それを斷罪するとは何たる事か。
自身達が奇妙奇天烈にして難解な變換を行つておきながら、その自身の失敗を認めず、運用する側が惡いと謂う。
將 に怠慢怠惰の極みである。
若者達の言葉は、人爲的 な變革に對 する、日本人の無意識な悲鳴である。
二千六百有余年かけて我等が先祖の創り上げた一點の曇り無き美しき言葉を、今こそ我等は取戻す時期に來てゐるのではないだらうか。
例へば若者が良く使ふ「ぢゃ」と
これは、「では」の
ダ行の言葉がザ行の言葉に變化するとは考へ難い。
普通に考へて、ザ行の「じゃ」よりも同じダ行の「ぢや」に變化するのが適當ではなからうか。
これらを使ふ若者は、恐らく無意識に使つてゐるのだらう。
しかし、人間の紡ぎ出す言葉と云ふ物は、常に法則性をもつてゐる。
そこには、
しかし、ここで「じゃ」の代用として「ぢゃ」が選ばれたのは、若者たちが日本人として、一般的な
また、
「すなはち」→「すなわち」
「變はる」→「変わる」
等がそれである。
しかし、
にも
「表記の慣習による特例」等と謂つてゐるが、全き理解し難い。
一方、若者たちは
それを斷罪するとは何たる事か。
自身達が奇妙奇天烈にして難解な變換を行つておきながら、その自身の失敗を認めず、運用する側が惡いと謂う。
若者達の言葉は、
二千六百有余年かけて我等が先祖の創り上げた一點の曇り無き美しき言葉を、今こそ我等は取戻す時期に來てゐるのではないだらうか。
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Comment
無題
前の記事の負けず嫌いですが、僕も「負けむずる事を嫌ふ」から来たものだと思います。ただこの「むず」に関しては推量・意志ではなく、仮定・婉曲用法だと思われます。負けるようなことが嫌い、とこんなカンジでしょうか?既知でしたらスミマセン
無題
僕は仮定・婉曲だと思います。なぜなら、「むずる」は連体形であり、「こと」にかかっているからです。このようなケースでは婉曲用法が圧倒的に多いです。仮定用法の場合もありますが、婉曲は仮定のニュアンスを含んでいるのであまり違いはありません。
意志の場合は終止形の場合がほとんどです。そもそも、「負けむずることを嫌ふ」の述語は「嫌ふ」であるので、意志の入る余地はないように思われるのですがどうでしょうか?長文すみません。
意志の場合は終止形の場合がほとんどです。そもそも、「負けむずることを嫌ふ」の述語は「嫌ふ」であるので、意志の入る余地はないように思われるのですがどうでしょうか?長文すみません。
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