千葉大生の右寄りなブログ。日常の出来事から政治批判まで。
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制作著作:猫の毛
県立船橋高校理数科卒。
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
もちろん非核推進派
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コガネモチ
あっちゃん卒業の喪失感は、なぜこれほどまでに大きいのだろう。
私は長らくアンチあっちゃん側に立ち、世代交代を望んできた。
それでもやはり、桜の花びらたち以来のAKBファンとして、あっちゃん卒業はかつてない喪失感を抱かしめている。
その理由を考えてみると、あっちゃんこそがAKB48であり、あっちゃんの存在がAKB全時代の成長の軌跡である点にあるのではないだろうか。
ここで桜の花びらたち〜ロマンス、イラネを下積み時代、Baby! Baby! Baby! を完成期、大声ダイヤモンドを開花期、それ以降を全盛時代と呼びたい。
下積み時代前期、あっちゃんの姿はまさにセンター争いと成長の過程であった。
徐々にメンバーの素材が完成し、ポジションが確立して行く中で、洗練されて行くAKB。
それに反して盛り上がらないプロモーション。
下積み時代後期のそうした産みの苦しみの中で、メンバーの成長があった。
Baby! Baby! Baby! という完成期はそうした中でメンバーの個性が確立し、あっちゃんのセンターポジションがメンバー内で意味のあるものになった頃だったのだ。
さらにここで事務所問題という躓きがあったことで、次の大衆化への準備が整った。
そして開花期、大声ダイヤモンドPVで見せたあっちゃんの姿はドラマ性と真実味を帯び、AKBの苦難と脱却、開花を表していたといえよう。
これをもってAKBは大衆に羽ばたいたのであった。
では、あっちゃんと同じく下積み時代を生きた1,2期メンバーは、何が違うのか。卒業組と現役組で分けてみたい。
比較的人気が出てから卒業したまいまい・えれぴょんでさえ、卒業組は、いずれも全盛時代より下積み時代の印象が強い。
いまだAKBが大衆化していない世代ということができる。
現役組はどうだろう。
たかみな、まりこさま、優子、ともちん、いずれも同じ時代を生き、同じ成長の過程を歩んできた。
しかし決定的に違うのは、やはり「センター」の重みである。
下積み時代は、AKB成長の時代であるとともに、センターの意義が形成されて行った時代である。
今のように、センターという椅子が絶対視されていたわけではない。
じゃんけんや選抜で明確に争われていたわけでもない。
いわば、あっちゃんの成長とともにセンターの意義が形成されてきたのである。
そうした意味で、あっちゃんとセンターは不可分かつ代替不能なのだ。
あっちゃん無きAKBは、新時代を迎えるといって過言ではない。あれほどにバッシングされ、世代交代を望まれ、第3回総選挙で涙ながらに訴えたとしても、あっちゃんとセンター、あっちゃんとAKBは一体なのである。
我々ファンは本来、この卒業を喜び、次なるAKB48の展開を期待すべきであろう。
それは、第2回選抜で優子をセンターに選び、あるいは研究生を推し上げ、チーム8を作らせるに至ったファンの本心ではなかったか。
あるいはあっちゃん推しであっても、これまでの卒業同様に門出を祝福し、ソロ活動を支えるべきではないのか。
無論そんなことは分かっているだろう。
しかしそれでも我々ファンは、尋常ならざる喪失感を抱かざるを得ない。
それは仕方のないことであり、今しばらくは、この喪失感とともにAKB48を見つめていくしかないのである。
私は長らくアンチあっちゃん側に立ち、世代交代を望んできた。
それでもやはり、桜の花びらたち以来のAKBファンとして、あっちゃん卒業はかつてない喪失感を抱かしめている。
その理由を考えてみると、あっちゃんこそがAKB48であり、あっちゃんの存在がAKB全時代の成長の軌跡である点にあるのではないだろうか。
ここで桜の花びらたち〜ロマンス、イラネを下積み時代、Baby! Baby! Baby! を完成期、大声ダイヤモンドを開花期、それ以降を全盛時代と呼びたい。
下積み時代前期、あっちゃんの姿はまさにセンター争いと成長の過程であった。
徐々にメンバーの素材が完成し、ポジションが確立して行く中で、洗練されて行くAKB。
それに反して盛り上がらないプロモーション。
下積み時代後期のそうした産みの苦しみの中で、メンバーの成長があった。
Baby! Baby! Baby! という完成期はそうした中でメンバーの個性が確立し、あっちゃんのセンターポジションがメンバー内で意味のあるものになった頃だったのだ。
さらにここで事務所問題という躓きがあったことで、次の大衆化への準備が整った。
そして開花期、大声ダイヤモンドPVで見せたあっちゃんの姿はドラマ性と真実味を帯び、AKBの苦難と脱却、開花を表していたといえよう。
これをもってAKBは大衆に羽ばたいたのであった。
では、あっちゃんと同じく下積み時代を生きた1,2期メンバーは、何が違うのか。卒業組と現役組で分けてみたい。
比較的人気が出てから卒業したまいまい・えれぴょんでさえ、卒業組は、いずれも全盛時代より下積み時代の印象が強い。
いまだAKBが大衆化していない世代ということができる。
現役組はどうだろう。
たかみな、まりこさま、優子、ともちん、いずれも同じ時代を生き、同じ成長の過程を歩んできた。
しかし決定的に違うのは、やはり「センター」の重みである。
下積み時代は、AKB成長の時代であるとともに、センターの意義が形成されて行った時代である。
今のように、センターという椅子が絶対視されていたわけではない。
じゃんけんや選抜で明確に争われていたわけでもない。
いわば、あっちゃんの成長とともにセンターの意義が形成されてきたのである。
そうした意味で、あっちゃんとセンターは不可分かつ代替不能なのだ。
あっちゃん無きAKBは、新時代を迎えるといって過言ではない。あれほどにバッシングされ、世代交代を望まれ、第3回総選挙で涙ながらに訴えたとしても、あっちゃんとセンター、あっちゃんとAKBは一体なのである。
我々ファンは本来、この卒業を喜び、次なるAKB48の展開を期待すべきであろう。
それは、第2回選抜で優子をセンターに選び、あるいは研究生を推し上げ、チーム8を作らせるに至ったファンの本心ではなかったか。
あるいはあっちゃん推しであっても、これまでの卒業同様に門出を祝福し、ソロ活動を支えるべきではないのか。
無論そんなことは分かっているだろう。
しかしそれでも我々ファンは、尋常ならざる喪失感を抱かざるを得ない。
それは仕方のないことであり、今しばらくは、この喪失感とともにAKB48を見つめていくしかないのである。
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