千葉大生の右寄りなブログ。日常の出来事から政治批判まで。
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制作著作:猫の毛
県立船橋高校理数科卒。
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
もちろん非核推進派
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
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コガネモチ
夏休みですね。うん。
最近思うのは、現実世界に2ch語(的語感)が浸透しつつある事。
「ばかす」とか「きもす」とか無意識に語尾に「す」をつけてるワサモン(熊本弁、流行に敏感な若者の意)を見ると、日本始まったなと思うそんな日々。
さて一昨日は終業式、座ってても立眩みする意味不明な症状が発症しつつある猫の毛にとってあの立ち尽くす式は拷問以外の何物でもないね。
その後一部の生徒会の後輩や同輩とカラオケに行って、猫の毛は一曲しか歌わなかった訳だけれども、最初「歌わない」と言っていた後輩共が挙って競って歌う様は奇怪なものだなぁ...と一歩引いて見ている自分の年老い様に絶望を覚えつつ、今後は会う機会も減るであろう一応の仲間達を温かい目で見守るふりをする自分に嫌悪感を抱き、最終的に国歌斉唱→「もってけ!セーラーふく」流し逃げと云う厨房的な事をやって帰る自分は未だ未だ若いなと思いました。
夏休みに入ると、毎年言いようのない不安と無気力にさらされ、そのまま40日間過ごしてしまうのは、私だけなのか、それともみんなそうなのか。
いづれにせよ、睡眠とドラマ鑑賞以外何もしない自分は本当に受験生なんだろうか。
そうそう。
受験生といえば、受驗症候群的なものはやっぱりあるのだろうか。
受験期に入ると誰もが不安を感じるのは当たり前だが、そこに中二病な「命について考える」なんて症状がプラスされると、何ともネガティブな思考になる。そんな人を見たことがあるが、それは如何程の人間に当てはまるのであろう。
別に一人で考えてくれる分には一向に構わないが、それによって周囲に迷惑をかける事だけはやめて欲しいね、全く。
確かに誰もが神経質になるこの時期、不用意な発言は慎むべきであるし、そもそもいつであろうと命に係わる安易な発言は好ましくないが、それにしたってみんなストレスを抱えているのだから、多少は憂さ晴らしもしたいだろう。
一々周囲を気にして話せなんてのは全く迷惑である。
こう書くとさも猫の毛は意地の悪い人間に見えるかもしれないが、確かにそれはそのとおりである。
私を悪く言うのは構わない。
だが、それよりも心優しい人間を見て欲しい。
キツい言い方だが、大半の人間は猫の毛のような考えを持っていると思うわけで、そうなると、ごく少数の心優しい者だけが支えざるを得ない事態が生じ、結果大多数はその事実を黙認するわけだ。
間違ってないか。
皆が悔い改め支えよなんて馬鹿な事を言うつもりはない。そもそも支えてもらわねばならぬような人間になるなと言いたい。
単なる甘えに、難解な病名を冠して保護するこの現代。危ういね。
誰もが悩みやストレスを抱えて生きているのである。
周囲を汚してまで自身の安心を図ろうとするある種のエゴに対して、あまりに過保護なのでは。
ここまで書くと、そろそろ真剣にバッシングされそうである。
まぁ正面きって反論される分には別段構わないのだが。
自分の愛する人(ここで言う「愛」ってのは、恋愛たるLoveじゃなく、もっと広い意味での「愛」ね。)が支える側にまわる性格の人だったら、多分に皆の考えも改められるのではないか、と切に思う。
要はさ、もっと強くなれよ。って事。可哀相なのはあなただけじゃないんだよ、って事。こんな事言ったら、壊れるもんなのかな。そんなに人間って弱いのかな。
いづれにしても、どの立場にしても、支える側を考えられる人間になりたい、って、マジメぶって聞こえるかもしれないけど、そう思う。
・・・
また語ってしまったよ。じゃぁ別の話題。
そういえば成績について話してなかったな、と思うので、笊のような頭をカバーするためちょろっと記録。
いわゆる「評定平均」なるものが確定されたんですよ。要は1年1学期から3年1学期までの成績をトータルで五段階評価する日教組先生や馬鹿親が大嫌いそうな超相対評価的数値なわけですが、猫の毛は3.8なんだとさ。1年次が3.8で2年次が4.0だから、やっぱり3年が足引っ張りすぎです。にしても、やっぱ壁は厚いね。推薦の基準が、大体4.3以上とかなんですが、そもそも実際に推薦取るような人は4.8とかなんだってさ。全く未知の領域ですな。
あ、なんでこんなとこで具体的な数字を公開してるかと言えば、それは口頭で教えてもらった事だからです。数値って覚えるの苦手なんですよね。
成績と言えば、もう一つ。
とうとう人生初の「成績赤点」を取ってしまいましたとさ。科目はライティング。やっぱり英語は苦手です。なんか担当の先生曰く、「0.5点足りなかったんだよねぇ」だそうな...それぐらいオマケしてくれたっていいじゃないか泣
そんなわけで、三年生は普通宿題がないわけですが、猫の毛はどっさり英語の課題を戴きました。もうホントにやだ泣まぁライティングが成績赤の人、結構多いらしいですけどね。
ふと思った。そろそろ平野綾の写真集の発売日じゃん。
それにしても、写真集って何であんな高いんだろうね。よくあんな大金はたく気になるなぁ...と感心してしまう。
あぁそういえば涼宮ハルヒの激奏も目前だ。流石にDVDを丸ごと流す人はいないだろうけど、ニコ動とかに動画だけでもうpしてくれないかな。
あ、平野綾と言えば...
らき☆すたのエンディングCD聞いた人居ますかね?って居ないか。
平野綾が「木枯らしに抱かれて」を歌ってるんで、Springs時代を知ってる人は是非聴いてみてください。
なんて言ってみたけれど、すごく厨房臭がするな、自分。自慢乙、みたいな。古参騙るな、的な。やだやだ。
だんだんネタが尽きてきたね。うん。
明後日からは可愛い塾がびっしりです。予復習ちゃんとやれよ>自分
最近思うのは、現実世界に2ch語(的語感)が浸透しつつある事。
「ばかす」とか「きもす」とか無意識に語尾に「す」をつけてるワサモン(熊本弁、流行に敏感な若者の意)を見ると、日本始まったなと思うそんな日々。
さて一昨日は終業式、座ってても立眩みする意味不明な症状が発症しつつある猫の毛にとってあの立ち尽くす式は拷問以外の何物でもないね。
その後一部の生徒会の後輩や同輩とカラオケに行って、猫の毛は一曲しか歌わなかった訳だけれども、最初「歌わない」と言っていた後輩共が挙って競って歌う様は奇怪なものだなぁ...と一歩引いて見ている自分の年老い様に絶望を覚えつつ、今後は会う機会も減るであろう一応の仲間達を温かい目で見守るふりをする自分に嫌悪感を抱き、最終的に国歌斉唱→「もってけ!セーラーふく」流し逃げと云う厨房的な事をやって帰る自分は未だ未だ若いなと思いました。
夏休みに入ると、毎年言いようのない不安と無気力にさらされ、そのまま40日間過ごしてしまうのは、私だけなのか、それともみんなそうなのか。
いづれにせよ、睡眠とドラマ鑑賞以外何もしない自分は本当に受験生なんだろうか。
そうそう。
受験生といえば、受驗症候群的なものはやっぱりあるのだろうか。
受験期に入ると誰もが不安を感じるのは当たり前だが、そこに中二病な「命について考える」なんて症状がプラスされると、何ともネガティブな思考になる。そんな人を見たことがあるが、それは如何程の人間に当てはまるのであろう。
別に一人で考えてくれる分には一向に構わないが、それによって周囲に迷惑をかける事だけはやめて欲しいね、全く。
確かに誰もが神経質になるこの時期、不用意な発言は慎むべきであるし、そもそもいつであろうと命に係わる安易な発言は好ましくないが、それにしたってみんなストレスを抱えているのだから、多少は憂さ晴らしもしたいだろう。
一々周囲を気にして話せなんてのは全く迷惑である。
こう書くとさも猫の毛は意地の悪い人間に見えるかもしれないが、確かにそれはそのとおりである。
私を悪く言うのは構わない。
だが、それよりも心優しい人間を見て欲しい。
キツい言い方だが、大半の人間は猫の毛のような考えを持っていると思うわけで、そうなると、ごく少数の心優しい者だけが支えざるを得ない事態が生じ、結果大多数はその事実を黙認するわけだ。
間違ってないか。
皆が悔い改め支えよなんて馬鹿な事を言うつもりはない。そもそも支えてもらわねばならぬような人間になるなと言いたい。
単なる甘えに、難解な病名を冠して保護するこの現代。危ういね。
誰もが悩みやストレスを抱えて生きているのである。
周囲を汚してまで自身の安心を図ろうとするある種のエゴに対して、あまりに過保護なのでは。
ここまで書くと、そろそろ真剣にバッシングされそうである。
まぁ正面きって反論される分には別段構わないのだが。
自分の愛する人(ここで言う「愛」ってのは、恋愛たるLoveじゃなく、もっと広い意味での「愛」ね。)が支える側にまわる性格の人だったら、多分に皆の考えも改められるのではないか、と切に思う。
要はさ、もっと強くなれよ。って事。可哀相なのはあなただけじゃないんだよ、って事。こんな事言ったら、壊れるもんなのかな。そんなに人間って弱いのかな。
いづれにしても、どの立場にしても、支える側を考えられる人間になりたい、って、マジメぶって聞こえるかもしれないけど、そう思う。
・・・
また語ってしまったよ。じゃぁ別の話題。
そういえば成績について話してなかったな、と思うので、笊のような頭をカバーするためちょろっと記録。
いわゆる「評定平均」なるものが確定されたんですよ。要は1年1学期から3年1学期までの成績をトータルで五段階評価する日教組先生や馬鹿親が大嫌いそうな超相対評価的数値なわけですが、猫の毛は3.8なんだとさ。1年次が3.8で2年次が4.0だから、やっぱり3年が足引っ張りすぎです。にしても、やっぱ壁は厚いね。推薦の基準が、大体4.3以上とかなんですが、そもそも実際に推薦取るような人は4.8とかなんだってさ。全く未知の領域ですな。
あ、なんでこんなとこで具体的な数字を公開してるかと言えば、それは口頭で教えてもらった事だからです。数値って覚えるの苦手なんですよね。
成績と言えば、もう一つ。
とうとう人生初の「成績赤点」を取ってしまいましたとさ。科目はライティング。やっぱり英語は苦手です。なんか担当の先生曰く、「0.5点足りなかったんだよねぇ」だそうな...それぐらいオマケしてくれたっていいじゃないか泣
そんなわけで、三年生は普通宿題がないわけですが、猫の毛はどっさり英語の課題を戴きました。もうホントにやだ泣まぁライティングが成績赤の人、結構多いらしいですけどね。
ふと思った。そろそろ平野綾の写真集の発売日じゃん。
それにしても、写真集って何であんな高いんだろうね。よくあんな大金はたく気になるなぁ...と感心してしまう。
あぁそういえば涼宮ハルヒの激奏も目前だ。流石にDVDを丸ごと流す人はいないだろうけど、ニコ動とかに動画だけでもうpしてくれないかな。
あ、平野綾と言えば...
らき☆すたのエンディングCD聞いた人居ますかね?って居ないか。
平野綾が「木枯らしに抱かれて」を歌ってるんで、Springs時代を知ってる人は是非聴いてみてください。
なんて言ってみたけれど、すごく厨房臭がするな、自分。自慢乙、みたいな。古参騙るな、的な。やだやだ。
だんだんネタが尽きてきたね。うん。
明後日からは可愛い塾がびっしりです。予復習ちゃんとやれよ>自分
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「この涙が枯れるまで」を読みました。
(以下ネタバレ)
最初に思ったのは、所詮ケータイ小説か。って事でした。
だって、涙が「枯れる」ですよ?
枯れるは植物関連だろ、みたいな。
ここは「涸れる」だろ、的な。
嫌な性格ですね。自分。
結局、この件は本文読んで納得したわけですが。
それでも。
やっぱり漢字力の低下は恐いですね。
同訓異義語が出来ない。
ちょろっと引用しますね。
「もう夜になっていた。/月が太陽に変わって、暗い空に輝きを放つ。」(228頁)
なんか分かりにくい文だな...と。
「月が太陽に変わって」だと、もう日が昇ってきた感じがします。
でも、まだ夜なんですね。
この場合、「代わる」を用いたほうがいいと思うんですがねぇ...
まぁこんな重箱のスミを突く猫の毛は、やっぱり性格悪いわけです笑
で、本題。
中身としては...いちご100%とか天くれシリーズとかに似てるな...と。
(いちご100%の対猫の毛攻撃力は、この辺の記事で書いているのでお暇ならどうぞ)
そういえば、今ぐぐってみたら、ブログに感想うpしてないんですね、天くれ。
以前、「太陽と月」の感想を書いたわけですが、その後気になって、天くれシリーズ全部読んだんですよ。
あんま感想とか残ってないんですけど。
で、ケータイ小説って、みんなこんなもんなんですか?
なんか深みないし、そもそも、ストーリーが一緒じゃね?
主人公を想ってくれる人が居て、でもすれ違って、紆余曲折経て、結局一緒に...でも、実ったところで相手が亡くなる...時は過ぎ去り、最終的には個々人みんなハッピーエンド。
そりゃ、この流れが王道なのは分かります。
でも、あまりに薄くなぞってるような気がしてならない。
この王道の中で、如何に意表を突き、感情を動かし、或いは一瞬道から外れ...こんな事が、その作品の、作者の腕の見せ所なのでは?
それから、天くれのときも思ったんですが、命軽過ぎないか?
そんな簡単に殺していいのだろうか。
確かに、旧来の作品は、死を予期させる事象がありました。
それがその作品を深めていた。
その点、あまりに急な死は、死の唐突さ、不条理さを表現するのに良いのかもしれない。
今までの固定観念を打ち破ったのかもしれない。
猫の毛の発想は、最早古いのかもしれない。
でも、猫の毛は感動できませんでした。
こんな事書くのはどうかとも思うけれど。
感情描写が希薄。
動機付けが希薄。
例えば、何故彼女(主人公と結ばれるも亡くなる役)は主人公をあそこまでして愛したのか。
その説明は殆どない。
主人公目線で書かれるその表現は好感が持てます。
でも、その主人公目線から如何に他者の感情を描写するか。
主人公には気付かせず、読者に気付かせる...
そんな高度なテクニックを要する技法だと思います。
それから。
最後に手紙で一気に説明する。
それも死後のタイムポスト。
都合良すぎ。
更に、夢でタイムトリップ?
そんな事、物語でも反則な気がします。
稚拙な描写だからこそ、妙にリアルな描写が際立つ。
あそこはもっと、読者の想像力に頼った表現で終わらせるべきだったのでは?
もう一つ。
危険だな。と思う事があります。
天くれでも、今作でもそうですが、「友人が自身の子に死した人の名を冠する」のです。
今、ネット上ではDQNネームなるものが話題です。
奇怪な名前を付ける理由は、「親が子をおもちゃとして見ている」からに他なりません。
子は、親の所有物ではないのです。
とすれば、子の事を考えたとき、先の事例はどうでしょう。
友人は、自身の子に、死した人の一生を押し付けるつもりですか?
確かに作中ではそんな考えではないかもしれない。
でも、読者は違うのです。
死した人の名を冠する事が、「カッコイイ」となってしまったら...
この思想と、我が子虐待、因果関係がある事に異論はありません。
さて。
こんな偉そうに書いていますが、猫の毛は、当然作者の方に敬意を払っています。
猫の毛なぞ、足元にも及ばないからです。
では、なぜこんなことを書くのか。
それは、ケータイ小説の対象――女子高生=若者の将来、ひいては我が国の行く末が心配だからです。
確かにケータイ小説は読みやすい。
それはまるでマンガの印象を受ける程に。
いわゆるラノベもそうです。
このような作品を読む事は、決して悪い事ではないと思います。
むしろ、大いに悩む始点となるのではないでしょうか。
少なくとも、猫の毛はそうです。
でも、これだけではいけない。
先日の天声人語にも似た事が書かれていました。
もっと若者は、難解な文章を読まねばなりません。
ぶっちゃけた話、猫の毛は文学が嫌いです。
全くと言えるほど読んでいません。
何も、森鴎外を読めと云う話ではないのです。
ただし、ケータイ小説・ラノベは、文章表現に乏しすぎる。
難解な漢字・熟語、複雜な人物関係or理論展開...
頭を使う読書、読後に疲れを感じる読書。
猫の毛も偉そうな事は言えません。
最近は、本を手に取ることも減りました。
ですから、だからこそ、自身への喚起も含めて言いたい。
社会の言うように、読書は心を豊かにします。
そして、その豊かな心を描写する表現力を養います。
こうやってどんどん人として成長してゆく事でしょう。
社会中の人々が友好的に関わっていく事。
近年の相手を思いやれない社会に対し、読書は手を差し伸べられるのではないでしょうか。
(以下ネタバレ)
最初に思ったのは、所詮ケータイ小説か。って事でした。
だって、涙が「枯れる」ですよ?
枯れるは植物関連だろ、みたいな。
ここは「涸れる」だろ、的な。
嫌な性格ですね。自分。
結局、この件は本文読んで納得したわけですが。
それでも。
やっぱり漢字力の低下は恐いですね。
同訓異義語が出来ない。
ちょろっと引用しますね。
「もう夜になっていた。/月が太陽に変わって、暗い空に輝きを放つ。」(228頁)
なんか分かりにくい文だな...と。
「月が太陽に変わって」だと、もう日が昇ってきた感じがします。
でも、まだ夜なんですね。
この場合、「代わる」を用いたほうがいいと思うんですがねぇ...
まぁこんな重箱のスミを突く猫の毛は、やっぱり性格悪いわけです笑
で、本題。
中身としては...いちご100%とか天くれシリーズとかに似てるな...と。
(いちご100%の対猫の毛攻撃力は、この辺の記事で書いているのでお暇ならどうぞ)
そういえば、今ぐぐってみたら、ブログに感想うpしてないんですね、天くれ。
以前、「太陽と月」の感想を書いたわけですが、その後気になって、天くれシリーズ全部読んだんですよ。
あんま感想とか残ってないんですけど。
で、ケータイ小説って、みんなこんなもんなんですか?
なんか深みないし、そもそも、ストーリーが一緒じゃね?
主人公を想ってくれる人が居て、でもすれ違って、紆余曲折経て、結局一緒に...でも、実ったところで相手が亡くなる...時は過ぎ去り、最終的には個々人みんなハッピーエンド。
そりゃ、この流れが王道なのは分かります。
でも、あまりに薄くなぞってるような気がしてならない。
この王道の中で、如何に意表を突き、感情を動かし、或いは一瞬道から外れ...こんな事が、その作品の、作者の腕の見せ所なのでは?
それから、天くれのときも思ったんですが、命軽過ぎないか?
そんな簡単に殺していいのだろうか。
確かに、旧来の作品は、死を予期させる事象がありました。
それがその作品を深めていた。
その点、あまりに急な死は、死の唐突さ、不条理さを表現するのに良いのかもしれない。
今までの固定観念を打ち破ったのかもしれない。
猫の毛の発想は、最早古いのかもしれない。
でも、猫の毛は感動できませんでした。
こんな事書くのはどうかとも思うけれど。
感情描写が希薄。
動機付けが希薄。
例えば、何故彼女(主人公と結ばれるも亡くなる役)は主人公をあそこまでして愛したのか。
その説明は殆どない。
主人公目線で書かれるその表現は好感が持てます。
でも、その主人公目線から如何に他者の感情を描写するか。
主人公には気付かせず、読者に気付かせる...
そんな高度なテクニックを要する技法だと思います。
それから。
最後に手紙で一気に説明する。
それも死後のタイムポスト。
都合良すぎ。
更に、夢でタイムトリップ?
そんな事、物語でも反則な気がします。
稚拙な描写だからこそ、妙にリアルな描写が際立つ。
あそこはもっと、読者の想像力に頼った表現で終わらせるべきだったのでは?
もう一つ。
危険だな。と思う事があります。
天くれでも、今作でもそうですが、「友人が自身の子に死した人の名を冠する」のです。
今、ネット上ではDQNネームなるものが話題です。
奇怪な名前を付ける理由は、「親が子をおもちゃとして見ている」からに他なりません。
子は、親の所有物ではないのです。
とすれば、子の事を考えたとき、先の事例はどうでしょう。
友人は、自身の子に、死した人の一生を押し付けるつもりですか?
確かに作中ではそんな考えではないかもしれない。
でも、読者は違うのです。
死した人の名を冠する事が、「カッコイイ」となってしまったら...
この思想と、我が子虐待、因果関係がある事に異論はありません。
さて。
こんな偉そうに書いていますが、猫の毛は、当然作者の方に敬意を払っています。
猫の毛なぞ、足元にも及ばないからです。
では、なぜこんなことを書くのか。
それは、ケータイ小説の対象――女子高生=若者の将来、ひいては我が国の行く末が心配だからです。
確かにケータイ小説は読みやすい。
それはまるでマンガの印象を受ける程に。
いわゆるラノベもそうです。
このような作品を読む事は、決して悪い事ではないと思います。
むしろ、大いに悩む始点となるのではないでしょうか。
少なくとも、猫の毛はそうです。
でも、これだけではいけない。
先日の天声人語にも似た事が書かれていました。
もっと若者は、難解な文章を読まねばなりません。
ぶっちゃけた話、猫の毛は文学が嫌いです。
全くと言えるほど読んでいません。
何も、森鴎外を読めと云う話ではないのです。
ただし、ケータイ小説・ラノベは、文章表現に乏しすぎる。
難解な漢字・熟語、複雜な人物関係or理論展開...
頭を使う読書、読後に疲れを感じる読書。
猫の毛も偉そうな事は言えません。
最近は、本を手に取ることも減りました。
ですから、だからこそ、自身への喚起も含めて言いたい。
社会の言うように、読書は心を豊かにします。
そして、その豊かな心を描写する表現力を養います。
こうやってどんどん人として成長してゆく事でしょう。
社会中の人々が友好的に関わっていく事。
近年の相手を思いやれない社会に対し、読書は手を差し伸べられるのではないでしょうか。
やっちまった...
パソコンの基本、「こまめに保存」......
・゜・(ノ∀`)・゜・
4ページにも渡る事務局長令が......
内閣告示やら何やら調べまくったのに......
作りはじめで一度「事務局長令第xx号制令書式令(仮題)」として保存して、殆ど完成したところで保存すれば良かったものを、そこで保存し忘れ、新たに別のものを作ろうと別名「事務局長令第xx号整理番号令(仮題)」保存し、更に「整理番号令」を完成させ上書き保存、挙句閉じるという悲劇。
つまり、「事務局長令第xx号制令書式令(仮題)」のファイルには、書き出し数行しか書かれておらず、かといって、「事務局長令第xx号整理番号令(仮題)」は一度閉じたため「戻す」も使えず...
皆さん、「こまめに保存」、しましょう。
あー......われらが生徒会における大損害だ......あんな傑作猫の毛には二度と書けない.........
パソコンの基本、「こまめに保存」......
・゜・(ノ∀`)・゜・
4ページにも渡る事務局長令が......
内閣告示やら何やら調べまくったのに......
作りはじめで一度「事務局長令第xx号制令書式令(仮題)」として保存して、殆ど完成したところで保存すれば良かったものを、そこで保存し忘れ、新たに別のものを作ろうと別名「事務局長令第xx号整理番号令(仮題)」保存し、更に「整理番号令」を完成させ上書き保存、挙句閉じるという悲劇。
つまり、「事務局長令第xx号制令書式令(仮題)」のファイルには、書き出し数行しか書かれておらず、かといって、「事務局長令第xx号整理番号令(仮題)」は一度閉じたため「戻す」も使えず...
皆さん、「こまめに保存」、しましょう。
あー......われらが生徒会における大損害だ......あんな傑作猫の毛には二度と書けない.........