千葉大生の右寄りなブログ。日常の出来事から政治批判まで。
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制作著作:猫の毛
県立船橋高校理数科卒。
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
もちろん非核推進派
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
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ご意見、ご感想、疑問、質問、お問い合わせ、その他何でもどうぞ。
(スパムとかは論外ですよ)
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コガネモチ
皆様!お久しゅうございます。お変わりありませんか?
なんと丸11日間も更新がありませんでした。
理由は、まぁテスト勉強って事にしときましょう。
(あとはテストによる心の傷の治療とか、化学のレポートとか、テストによる心の傷の治療とか、睡眠とか、テストによる心の傷の治療とか......)
メールフォームからはお気遣いの投稿もいただき、恐縮するばかりです。ありがとうございました。
・・・・・・・・・
さて。
今日は特にネタが無いんですよ。
とりあえず、猫の毛が生きている事を主張したかっただけなので。
んーーーー・・・・・・
あ!
そういえば、テスト勉強中に一度、ブログの説明文をかえました。
「↑ホントはBETA版じゃないけど......Firefoxユーザー歓迎します」
から
「愚痴から政治まで。Firefoxユーザー歓迎します。」
となりました。
それから、RSSの欄に
のアイコンを入れました。
WiWiというのは、ケータイ用のRSSリーダーみたいなものです。
まぁまぁ使えるので、皆さんもぜひお試しあれ。
それでは今日はこの辺で。
またじゃんじゃん更新していけるよう頑張ります。
なんと丸11日間も更新がありませんでした。
理由は、まぁテスト勉強って事にしときましょう。
(あとはテストによる心の傷の治療とか、化学のレポートとか、テストによる心の傷の治療とか、睡眠とか、テストによる心の傷の治療とか......)
メールフォームからはお気遣いの投稿もいただき、恐縮するばかりです。ありがとうございました。
・・・・・・・・・
さて。
今日は特にネタが無いんですよ。
とりあえず、猫の毛が生きている事を主張したかっただけなので。
んーーーー・・・・・・
あ!
そういえば、テスト勉強中に一度、ブログの説明文をかえました。
「↑ホントはBETA版じゃないけど......Firefoxユーザー歓迎します」
から
「愚痴から政治まで。Firefoxユーザー歓迎します。」
となりました。
それから、RSSの欄に
WiWiというのは、ケータイ用のRSSリーダーみたいなものです。
まぁまぁ使えるので、皆さんもぜひお試しあれ。
それでは今日はこの辺で。
またじゃんじゃん更新していけるよう頑張ります。
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普段よりマスコミ批判をしている猫の毛ですが、良く考えるとまとまって話した事はありませんでした。
という事で、今日は猫の毛の経験を例にお話します。
それは猫の毛が中学生だった時の事。
猫の毛の中学校にはAという不登校児がおりました。(Aは仮名で、本名とは何の関係も無い。また、Aは女子である)
そのAが学校に来なくなった理由は誰も知らず、知る気もありませんでした。
しかし突如、卒業式の練習中に現れ、作文を読み始めたのです。
(発表の場は学校側が用意したものでした)
その内容は、「私はいじめられた。こんないじめは二度としないでほしい。」といった内容でした。
これはまさに青天の霹靂、なぜなら誰も彼女をいじめた事は無かったのです。
さらに驚くべき事に、その数日後、今度は新聞にその記事が載ったです。
単なる新聞ではありません。
天下の讀賣新聞東葛面に大々的に掲載されたのです。

まぁ見出しを読むだけで大体予想がつくと思いますが、中身は次のようなものです。
1.いじめはあった
2.当然、周囲の生徒はみんな悪者
3.当然、何も対処しなかった学校は悪者
4.当然、Aには非がない
5.病気になりながらも、いじめ根絶を訴えたAは偉い
まず、「いじめは無かった」これが事実です。
そりゃまぁ「キモい」だの「ウザい」ぐらいは言ったかもしれませんが...
むしろ言われずに3年間過ごした人間がいたとすれば見てみたいものです。
実は、作文朗読のあった日、記者が帰宅途中の生徒にインタビューをしています。
まさか新聞に載るとは思わなかった生徒は、何の疑いも無く感想を述べました。
その生徒は、Aと関わりが無く、いじめの有無を知りませんでした。
当然、「可哀想」とか「良く頑張った」とかの感想を言いました。
これで「証拠固め」を行った記者は、取材理由も告げずに消えました。
この話で悪いのは誰でしょうか?
新聞社にタレコミしたAでしょうか?
そうゆう見方も出来ましょう。
しかし、私はそうは思いません。
思い込みとは言え、病気にまでなってしまったAには同情します。
ここで問題なのは、これを「学校叩き」「いじめ問題」のエサにしたマスコミです。
記事の内容は、全てAの証言に基づいていると思われます。
学校側のコメントもなければ、客観的な事実もない。
卑怯極まりない手法です。
これで公平中立な記事など書けましょうか?
さらに、考え方に於ても偏っています。
若者の間では挨拶のように日常語となった「キモい」「ウザい」「死ね」を、大人の観点で推し量ろうとするマスコミには脱帽です。
読者は大人ですから、こんな言葉を見れば衝撃を受けるでしょう。
そして、「こんな言葉を浴びせられてかわいそうに」となるでしょう。
これが狙いです。
これを中学生に見せたらどうか。
答えは決まっています。
「この程度、日常茶飯事だ」と。
マスコミは常に、「学校」「教育委員会」「行政」をバッシングします。
近年の流行は「いじめ」によるバッシングです。
「いじめが増えた」のではなく、「マスコミが報道するイジメが増えた」のです。
この報道は、さらなる弊害を生みます。
「この記事をネタにしたブログ」が現れたのです。
そのブログでは、「学校の無為無策」「学校側の責任」を問うています。
なるほど。
まっさらな状態でこの記事を読めば、当然そこへ帰着します。
マスコミの狙いどおりです。
まとめます。
・マスコミは「いじめ」をことさら強調した記事を乱発する
・情報規制を行った記事からは、「学校の悪さ」だけが読み取れる
・読者は学校を批判する
・世論が学校を叩き、学校の権威は失墜する
・保護者に怯える学校の誕生
学校は常に権威的であるべきです。
よく、権威的=暴力的と解釈する人がいますが、そうではありません。
現在の教師は堕落に堕落を重ねていますが、本来の学校は、教師が生徒を導くのです。
「教師と生徒が対等」そんなはずはありません。
学校は上から物を教えるのです。
そうでなくては、教育など出来ようがありません。
馬鹿な親には強固に対処し、正しき道へと子を更生するのです。
しかし、マスコミによるバッシングは、「学校はダメだ」という考えを蔓延させ、よって、学校をナメる親が続出。
学校教育は破綻するのです。
これらは全て、マスコミによる印象操作です。
私達は、マスコミの言う事を疑ってかからねばなりません。
―――追記(10/10 01:18)―――
日本蕪村さんより、非常に長い意見をいただきました。
以下、日本蕪村さんの意見に対する猫の毛の意見です。
日本蕪村さんの意見をご覧になってから、猫の毛の意見を読んでください。
・・・・・・
まず、最初に強調したいのは、「今回の記事で何を訴えたかったか」という事です。
猫の毛は例として「いじめ」を引き合いに出しましたが、本当に言いたかったのは「マスコミの卑劣さ」です。
上手く皆さんに伝えられなかった事、お詫び申し上げます。
ですが、日本蕪村さんよりいじめに関する力のこもった意見をいただきましたので、猫の毛も、これに対する意見を書きます。
(以下、日本蕪村さんの記事の一部を引用します。問題ありましたら仰ってください>日本蕪村さん)
>(Blog執筆者)がいじめだと思わなくても、本人にとってはいじめだと思うことがある。
これは所謂「いじめられた人が“いじめ”と感じたらいじめなんだ」理論ですね。
この意見には賛成します。
もっともな事です。
物事の感じ方は人それぞれですし、中教審か何処かもこの理論の適用を声高に叫んでいます。
しかし、過度の適用は危険です。
今回のAは、果たして過度の適用に値するでしょうか。
Yes.私は値すると思います。
「キモい」「ウザい」「死ね」といった言葉は、―――大人からすれば酷い言葉でしょうが―――当時の中学校では、「おはよう」よりも流布していたと言って過言ではありません。
さらに、―――説明が足りませんでしたが―――彼女に対して、ことさらこの言葉が多く発せられた事実は無かったのです。
日常的な言葉が日常的に使われただけ。
これだけでいじめとなってしまっては、発した側も困ってしまいます。
(良い慣習とは言いませんが、返事の一種として、反射的にこの言葉を発する空気が蔓延していたと言えます。それは中学校に限らず、我が高等学校でも同様です。)
また、―――本文では触れませんでしたが―――もう一例挙げましょう。
Aがいじめられたと担任に訴えた時に主張した事は、「笑われた」という事でした。
しかし、その「笑った生徒」を問い詰めても、そんな事実は出てきません。
良く良く話を聞いてみると、どうやらその生徒、全く別の事で友人達と馬鹿騒ぎをしていただけでした。
そして運悪く、Aが横を通り、それをいじめと受け取ってしまったようでした。
Aに悪気はありません。
Aはとても―――この表現が適切かどうか分かりませんが―――可哀想な子であったと思います。
Aが受けた心の傷は―――例え傷付けた生徒に悪気が無かったとしても―――、一生癒えないでしょうし、重く受け止める必要があります。
こんな方法が良いのかは分かりませんが、「Aが近くにいる時は、勘違いされるような言動は慎む」といった措置を取れば良かったかもしれません。(本来は、「死ね」などが日常語とならない世を作るべきですが、それは絵空事です。)
何ども言って恐縮ですが、猫の毛が伝えたかった事は、「マスコミの卑劣さ」です。
きちんと調査をすれば、以上のような事実が出てきたはずなのです。
そうすれば、このような「Aの主張を鵜呑みにした記事」は書けないはずです。
・・・・・・
次は、日本蕪村さんの疑問(?)にお答えしていきます。
>Aさんの周りの生徒。
なぜ、不登校になったのか聞いてあげなかったのか。
何の前触れも無く来なくなってしまい、接点が無くなったのが原因でしょう。
また、不良の間で「何もしていないのにいじめっ子扱いされた」という空気があり、深く関われなかった点もあります。
さらに、猫の毛の中学校では不登校者が複数おり、特に驚くべき出来事ではなかった点もあります。
>学校側。
なぜ、そのような大々的な場を設けたのか。
説明不足でした。すみません。
Aの主張するところによると、Aは1年生からいじめられたようです。
そして、作文朗読は、3年生のみの前で行われました。
クラス替えがありましたので、いじめをしたとされる人に言うには、3年生全員を対象とするしかなかったのでしょう。
また、彼女の言動の大義名分には「いじめ根絶を願う」という点がありました。
ただ「恨みを言う」のではなく、「私の経験を聞いて、今後は誰にもいじめをしないでほしい」というのが、彼女の主張する意見でした。(作文の内容は恨み言ばかりに聞こえましたが...)
ですから、大勢の前で話したほうが、彼女の願いに沿っていたのでしょう。
>Aさんはその発表で具体的ないじめの内容を言ったのか。
すみません。記憶にないですね。
ただ、後日の新聞には書かれていたような気がします。
その内容は、「ウザい」などの「言葉の暴力」だったそうです。
>その場は、「作文朗読会」にせず、「討論会」にすべきだったのである。
まさにそのとおりだと思います。
一方通行の意見発表では、なんら埒があきません。
ただ、問題点が一つ。
猫の毛の中学校では、討論など成り立ちません。
不良が睨みを利かせる中、マトモな意見は出ません。
誰一人として意見を挙げないでしょう。
万一、裏で教員に言ったとしても、異常な情報伝達網で不良に伝わり、密告者は血祭りにあげられます。
(教師と仲良くする者は不良の餌食です。)
つまり、結局言いたかった事は、
1.マスコミの情報操作は恐い
2.いじめの定義は一概に言えず、非常に難しいものがある
という事です。(まとめすぎて伝わらないかもしれない......)
この他、疑問,質問,お問い合わせ,文句,苦情,意見,and the like...ございましたら、お気軽にコメントorトラバください。
トラバありがとうございました>日本蕪村さん
という事で、今日は猫の毛の経験を例にお話します。
それは猫の毛が中学生だった時の事。
猫の毛の中学校にはAという不登校児がおりました。(Aは仮名で、本名とは何の関係も無い。また、Aは女子である)
そのAが学校に来なくなった理由は誰も知らず、知る気もありませんでした。
しかし突如、卒業式の練習中に現れ、作文を読み始めたのです。
(発表の場は学校側が用意したものでした)
その内容は、「私はいじめられた。こんないじめは二度としないでほしい。」といった内容でした。
これはまさに青天の霹靂、なぜなら誰も彼女をいじめた事は無かったのです。
さらに驚くべき事に、その数日後、今度は新聞にその記事が載ったです。
単なる新聞ではありません。
天下の讀賣新聞東葛面に大々的に掲載されたのです。
まぁ見出しを読むだけで大体予想がつくと思いますが、中身は次のようなものです。
1.いじめはあった
2.当然、周囲の生徒はみんな悪者
3.当然、何も対処しなかった学校は悪者
4.当然、Aには非がない
5.病気になりながらも、いじめ根絶を訴えたAは偉い
まず、「いじめは無かった」これが事実です。
そりゃまぁ「キモい」だの「ウザい」ぐらいは言ったかもしれませんが...
むしろ言われずに3年間過ごした人間がいたとすれば見てみたいものです。
実は、作文朗読のあった日、記者が帰宅途中の生徒にインタビューをしています。
まさか新聞に載るとは思わなかった生徒は、何の疑いも無く感想を述べました。
その生徒は、Aと関わりが無く、いじめの有無を知りませんでした。
当然、「可哀想」とか「良く頑張った」とかの感想を言いました。
これで「証拠固め」を行った記者は、取材理由も告げずに消えました。
この話で悪いのは誰でしょうか?
新聞社にタレコミしたAでしょうか?
そうゆう見方も出来ましょう。
しかし、私はそうは思いません。
思い込みとは言え、病気にまでなってしまったAには同情します。
ここで問題なのは、これを「学校叩き」「いじめ問題」のエサにしたマスコミです。
記事の内容は、全てAの証言に基づいていると思われます。
学校側のコメントもなければ、客観的な事実もない。
卑怯極まりない手法です。
これで公平中立な記事など書けましょうか?
さらに、考え方に於ても偏っています。
若者の間では挨拶のように日常語となった「キモい」「ウザい」「死ね」を、大人の観点で推し量ろうとするマスコミには脱帽です。
読者は大人ですから、こんな言葉を見れば衝撃を受けるでしょう。
そして、「こんな言葉を浴びせられてかわいそうに」となるでしょう。
これが狙いです。
これを中学生に見せたらどうか。
答えは決まっています。
「この程度、日常茶飯事だ」と。
マスコミは常に、「学校」「教育委員会」「行政」をバッシングします。
近年の流行は「いじめ」によるバッシングです。
「いじめが増えた」のではなく、「マスコミが報道するイジメが増えた」のです。
この報道は、さらなる弊害を生みます。
「この記事をネタにしたブログ」が現れたのです。
そのブログでは、「学校の無為無策」「学校側の責任」を問うています。
なるほど。
まっさらな状態でこの記事を読めば、当然そこへ帰着します。
マスコミの狙いどおりです。
まとめます。
・マスコミは「いじめ」をことさら強調した記事を乱発する
・情報規制を行った記事からは、「学校の悪さ」だけが読み取れる
・読者は学校を批判する
・世論が学校を叩き、学校の権威は失墜する
・保護者に怯える学校の誕生
学校は常に権威的であるべきです。
よく、権威的=暴力的と解釈する人がいますが、そうではありません。
現在の教師は堕落に堕落を重ねていますが、本来の学校は、教師が生徒を導くのです。
「教師と生徒が対等」そんなはずはありません。
学校は上から物を教えるのです。
そうでなくては、教育など出来ようがありません。
馬鹿な親には強固に対処し、正しき道へと子を更生するのです。
しかし、マスコミによるバッシングは、「学校はダメだ」という考えを蔓延させ、よって、学校をナメる親が続出。
学校教育は破綻するのです。
これらは全て、マスコミによる印象操作です。
私達は、マスコミの言う事を疑ってかからねばなりません。
―――追記(10/10 01:18)―――
日本蕪村さんより、非常に長い意見をいただきました。
以下、日本蕪村さんの意見に対する猫の毛の意見です。
日本蕪村さんの意見をご覧になってから、猫の毛の意見を読んでください。
・・・・・・
まず、最初に強調したいのは、「今回の記事で何を訴えたかったか」という事です。
猫の毛は例として「いじめ」を引き合いに出しましたが、本当に言いたかったのは「マスコミの卑劣さ」です。
上手く皆さんに伝えられなかった事、お詫び申し上げます。
ですが、日本蕪村さんよりいじめに関する力のこもった意見をいただきましたので、猫の毛も、これに対する意見を書きます。
(以下、日本蕪村さんの記事の一部を引用します。問題ありましたら仰ってください>日本蕪村さん)
>(Blog執筆者)がいじめだと思わなくても、本人にとってはいじめだと思うことがある。
これは所謂「いじめられた人が“いじめ”と感じたらいじめなんだ」理論ですね。
この意見には賛成します。
もっともな事です。
物事の感じ方は人それぞれですし、中教審か何処かもこの理論の適用を声高に叫んでいます。
しかし、過度の適用は危険です。
今回のAは、果たして過度の適用に値するでしょうか。
Yes.私は値すると思います。
「キモい」「ウザい」「死ね」といった言葉は、―――大人からすれば酷い言葉でしょうが―――当時の中学校では、「おはよう」よりも流布していたと言って過言ではありません。
さらに、―――説明が足りませんでしたが―――彼女に対して、ことさらこの言葉が多く発せられた事実は無かったのです。
日常的な言葉が日常的に使われただけ。
これだけでいじめとなってしまっては、発した側も困ってしまいます。
(良い慣習とは言いませんが、返事の一種として、反射的にこの言葉を発する空気が蔓延していたと言えます。それは中学校に限らず、我が高等学校でも同様です。)
また、―――本文では触れませんでしたが―――もう一例挙げましょう。
Aがいじめられたと担任に訴えた時に主張した事は、「笑われた」という事でした。
しかし、その「笑った生徒」を問い詰めても、そんな事実は出てきません。
良く良く話を聞いてみると、どうやらその生徒、全く別の事で友人達と馬鹿騒ぎをしていただけでした。
そして運悪く、Aが横を通り、それをいじめと受け取ってしまったようでした。
Aに悪気はありません。
Aはとても―――この表現が適切かどうか分かりませんが―――可哀想な子であったと思います。
Aが受けた心の傷は―――例え傷付けた生徒に悪気が無かったとしても―――、一生癒えないでしょうし、重く受け止める必要があります。
こんな方法が良いのかは分かりませんが、「Aが近くにいる時は、勘違いされるような言動は慎む」といった措置を取れば良かったかもしれません。(本来は、「死ね」などが日常語とならない世を作るべきですが、それは絵空事です。)
何ども言って恐縮ですが、猫の毛が伝えたかった事は、「マスコミの卑劣さ」です。
きちんと調査をすれば、以上のような事実が出てきたはずなのです。
そうすれば、このような「Aの主張を鵜呑みにした記事」は書けないはずです。
・・・・・・
次は、日本蕪村さんの疑問(?)にお答えしていきます。
>Aさんの周りの生徒。
なぜ、不登校になったのか聞いてあげなかったのか。
何の前触れも無く来なくなってしまい、接点が無くなったのが原因でしょう。
また、不良の間で「何もしていないのにいじめっ子扱いされた」という空気があり、深く関われなかった点もあります。
さらに、猫の毛の中学校では不登校者が複数おり、特に驚くべき出来事ではなかった点もあります。
>学校側。
なぜ、そのような大々的な場を設けたのか。
説明不足でした。すみません。
Aの主張するところによると、Aは1年生からいじめられたようです。
そして、作文朗読は、3年生のみの前で行われました。
クラス替えがありましたので、いじめをしたとされる人に言うには、3年生全員を対象とするしかなかったのでしょう。
また、彼女の言動の大義名分には「いじめ根絶を願う」という点がありました。
ただ「恨みを言う」のではなく、「私の経験を聞いて、今後は誰にもいじめをしないでほしい」というのが、彼女の主張する意見でした。(作文の内容は恨み言ばかりに聞こえましたが...)
ですから、大勢の前で話したほうが、彼女の願いに沿っていたのでしょう。
>Aさんはその発表で具体的ないじめの内容を言ったのか。
すみません。記憶にないですね。
ただ、後日の新聞には書かれていたような気がします。
その内容は、「ウザい」などの「言葉の暴力」だったそうです。
>その場は、「作文朗読会」にせず、「討論会」にすべきだったのである。
まさにそのとおりだと思います。
一方通行の意見発表では、なんら埒があきません。
ただ、問題点が一つ。
猫の毛の中学校では、討論など成り立ちません。
不良が睨みを利かせる中、マトモな意見は出ません。
誰一人として意見を挙げないでしょう。
万一、裏で教員に言ったとしても、異常な情報伝達網で不良に伝わり、密告者は血祭りにあげられます。
(教師と仲良くする者は不良の餌食です。)
つまり、結局言いたかった事は、
1.マスコミの情報操作は恐い
2.いじめの定義は一概に言えず、非常に難しいものがある
という事です。(まとめすぎて伝わらないかもしれない......)
この他、疑問,質問,お問い合わせ,文句,苦情,意見,and the like...ございましたら、お気軽にコメントorトラバください。
トラバありがとうございました>日本蕪村さん
新しい文部大臣、曲者かもしれません。
なぜ必修に固執するのか 小学校の英語
(上記記事のバックアップ用キャプチャ画像)
安部さんも少しは良い事してくれますね。
このまま英語教育の廃案に繋がる事を祈ります。
記事でも書かれているとおり、小学校での英語教育なんて無意味です。
猫の毛の小学校では、週一ペースで英語の時間がありました。
ALTが来て、補助教員が一緒にいて、変なゲームをするんです。
例えばこれ。
1.全員が輪になります。
2.誰かが「Hello!」と隣の人に言います。
3.言われた人は「Pardon?」と聞き返します。
4.聞き返された人はもう一度「Hello!」と言います。
5.言われた人は納得し、次の隣の人に「Hello!」と言います。
以下永遠に続く。
こんなことに一体何の意味があるのでしょうか。
私はこのゲームを通じて、「パードゥン?」と言う事で「何?」という風に伝わるという事を知りました。
しかし、今になってみると、「Pardon me.」と言うほうが正しい事に気付きました。
さらに、当時綴りなど考えていたはずも無く、結局中学校で再びゼロから学習しました。
こんな事もあります。
猫の毛は英会話クラブに所属した時期があったのですが...
その日は10月後半。
1.部屋の外には生徒が並びます。
2.一人づつ、扉を叩きます。
3.「Trick or treat.」と言います。
4.部屋からALTが出てきて「Treat!!」と威勢良く言って、お菓子や金銭を渡します。
5.ガチに生徒は金品を受け取ります。
猫の毛がこの事で得たものといえば、飴、ガム、50円玉でした。
英語の知識などは全く得ていません。
この程度の事なら、とうの昔に知っていました。
小学校の英語教育は何が問題なのか。
それは、英語教育を行っても能力に変化が起きないという点です。
小学校では「英語に馴れる」というコンセプトの下、ALTが英語でまくし立てます。
そして、その後に補助教員が日本語訳を話します。
この時、高成績者は、ALTの話す内容で理解します。
文法など分からずとも、単語の寄せ集めで分かるからです。
ここには一切の成長が無く、もとあった知識が復習されるのみです。
一方、一定レベル以下の生徒i.e.大半の生徒は、ALTの話に耳も傾けません。
理由は簡単で、分からないからです。
そして、補助教員の日本語だけを聞き、ゲームに参加します。
つまり、高成績者は、小学校の英語教育で能力を伸ばす事無く中学校へ進みます。
そして、その他大勢は、中学校で、全てをゼロから始めます。
よって、小学校での英語教育は、全く意味をなさない事になります。
他にも、愛国心と表現力の問題がありますが、それは以前書いた記事を参照ください(リンクは最後にあります)
という事で、今回の結論。
これを機に、小学校での英語教育を廃するよう国内世論を固め、政府に働きかけよう!
―――参考記事―――
・中教審 小学5年から英語必修 orz
・英語教育と石原都知事
なぜ必修に固執するのか 小学校の英語
(上記記事のバックアップ用キャプチャ画像)
安部さんも少しは良い事してくれますね。
このまま英語教育の廃案に繋がる事を祈ります。
記事でも書かれているとおり、小学校での英語教育なんて無意味です。
猫の毛の小学校では、週一ペースで英語の時間がありました。
ALTが来て、補助教員が一緒にいて、変なゲームをするんです。
例えばこれ。
1.全員が輪になります。
2.誰かが「Hello!」と隣の人に言います。
3.言われた人は「Pardon?」と聞き返します。
4.聞き返された人はもう一度「Hello!」と言います。
5.言われた人は納得し、次の隣の人に「Hello!」と言います。
以下永遠に続く。
こんなことに一体何の意味があるのでしょうか。
私はこのゲームを通じて、「パードゥン?」と言う事で「何?」という風に伝わるという事を知りました。
しかし、今になってみると、「Pardon me.」と言うほうが正しい事に気付きました。
さらに、当時綴りなど考えていたはずも無く、結局中学校で再びゼロから学習しました。
こんな事もあります。
猫の毛は英会話クラブに所属した時期があったのですが...
その日は10月後半。
1.部屋の外には生徒が並びます。
2.一人づつ、扉を叩きます。
3.「Trick or treat.」と言います。
4.部屋からALTが出てきて「Treat!!」と威勢良く言って、お菓子や金銭を渡します。
5.ガチに生徒は金品を受け取ります。
猫の毛がこの事で得たものといえば、飴、ガム、50円玉でした。
英語の知識などは全く得ていません。
この程度の事なら、とうの昔に知っていました。
小学校の英語教育は何が問題なのか。
それは、英語教育を行っても能力に変化が起きないという点です。
小学校では「英語に馴れる」というコンセプトの下、ALTが英語でまくし立てます。
そして、その後に補助教員が日本語訳を話します。
この時、高成績者は、ALTの話す内容で理解します。
文法など分からずとも、単語の寄せ集めで分かるからです。
ここには一切の成長が無く、もとあった知識が復習されるのみです。
一方、一定レベル以下の生徒i.e.大半の生徒は、ALTの話に耳も傾けません。
理由は簡単で、分からないからです。
そして、補助教員の日本語だけを聞き、ゲームに参加します。
つまり、高成績者は、小学校の英語教育で能力を伸ばす事無く中学校へ進みます。
そして、その他大勢は、中学校で、全てをゼロから始めます。
よって、小学校での英語教育は、全く意味をなさない事になります。
他にも、愛国心と表現力の問題がありますが、それは以前書いた記事を参照ください(リンクは最後にあります)
という事で、今回の結論。
これを機に、小学校での英語教育を廃するよう国内世論を固め、政府に働きかけよう!
―――参考記事―――
・中教審 小学5年から英語必修 orz
・英語教育と石原都知事