千葉大生の右寄りなブログ。日常の出来事から政治批判まで。
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制作著作:猫の毛
県立船橋高校理数科卒。
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
もちろん非核推進派
1年間のオオヨビ生を経て、
千葉大法経学部総合政策学科2年。
=所属=
学生団体ivote
環境ISO学生委員会
自然保護研究会
環境サークルSun&Co.
星を見る会
=主義=
尊皇愛国主義
反露中朝派
特に敬愛する帝は後桜町院
まず周囲、次に日本、最後に世界の平和と安寧を願う平和主義
もちろん非核推進派
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(スパムとかは論外ですよ)
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コガネモチ
ブログって何なんだろうか。
作り始めたときは、とりあえずの興味からだった。
みんな概ねそうだと思う。
始めの頃は、たぶん思うがままに書いてたはず。
でも、読み手を意識していたであろうことは間違いない。
しばらくすると、無意味な記事が増えてきた。
数打ちゃ当たる的。
記事の乱発。
始めの頃の楽しさはどこへやら。
確かに楽しくはあった。やりがいもあった。
でも、義務に感じ、重荷に感じていたこともまた事実。
同時に、ブログの客層が広がった(ように感じた。
マジメな事を書かねば...
そんな重圧。
生徒会長になってからは、益々思った。
猫の毛は、読み手の事を知らない。
でも、読み手は間違いなく猫の毛のことを知っている。
生徒会長として、ある意味では学校の代表であるのに...こんなこと書いていいのだろうか。
そんな自問自答と相反するかのごとく、自虐的かつ無意味な記事。過激な記事。
ふと、更新が止まった。
楽になった。
忙しさを盾に、一瞬更新を止めたのだった。
だが一方で、不安も大きくなった。
ひきこもりの原理。
一度休むと、休む事が普通になり、学校へ行きたくても「登校」できなくなる。
ブログも同じだった。
―――久しぶりに何か書こう。
そう考えると、「久しぶりの記事が駄文ではまずい」そんな気持ちが、益々「投稿」を妨げた。
いつだったろうか。
再びブログが楽しくなり始めたのは。
原点回帰。
行間がやたらと空くようになったのは、読み手への思いやりのつもり。
また駄文を生産する。
でも、以前の苦痛はそれほどでもなかった。
なんて、さも、現在希望に満ち溢れているかのような、またも仮面。
どうも最近鬱らしい。
ストッパーを外すことが猫の毛には出来ない。
体面――こんな小さなことにこだわる自分は、確かに自分で、格好良くはないけれど、利口な生き方だと自分を慰める。
久しぶりの散文。
読み手を無視した感情の散在。
こんな詩的な書き方、あまり好きではない。
でも、最近の記事は感情を消しすぎのようにも感じた。
一時期のそれよりは改善されたかもしれないけれど。
あるリンクのリンクから、ずっと探していた某知人のブログを見つけた。
素直に感情が吐露されている記事。
でも、その裏に隱されている闇は見えないし、掴めない。
とはいえ、感情を隱しつつも表現するそのブログは、猫の毛のそれとは対立するように感じた。
単なる文体の差異なんかではない。
感情の取り扱い方。
そんなものに簡単に影響される自分。
だからちょっと書いてみた。
今日のこの記事は、その知人のブログから考えたこと。
一切合切感情の赴くままに。
読み手は見ていない、と、自白する。
また感情は飛ぶ。
現実が嫌になる日々。
教室が苦痛。
皆もこんな感情をまとって、日々過ごしているのだろうか。
あの笑いに滿ちた教室は、皆芯から笑っているのか。
幸福の匂いを感じるたび、死への恐怖が薄れ、惹かれる。
所詮、死ぬ勇気すらないのだけれど。
こんなこと書くと、もし自分が死んだら警察は自殺と判断するのかな。
なんて馬鹿みたいに思いを巡らせる。
死を軽々しく口にする者は、死なないと思う。
死を軽視しているから。死の恐怖を知らないから。
私も含めて。
鬱。
随分と手垢のついた言葉になった。
自分もその手垢を付けた張本人なのだろうか。
真の鬱に触れたことはあるのだろうか。
今、私が触れている鬱とは、単なる幻影なのだろうか。
人間は複雑である。
だが最近、結局人間の感情は「電気のOnOff」だと思うようになった。
すべて反射。
原子に感情なんてあるのかな。
なんて。
自然科学を追求する人は、一体何を見たいのだろうか。
私は恐くてならない。
自然の真理なんていうけれど、よく気がふれないものだ。
今起きている現象に、逐一理由を付ける。
それで?
人間は、分子を見つけた。
原子を見つけた。
原子核と電子を見つけた。
陽子と中性子を見つけた。
クォークを見つけた。
その先に今、ひもを見つけようとしている。
恐くはないのだろうか。
我々の感情―――喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも、愛も―――すべてが、行動すべてが、思考すべてが、本能すべてが、この社会秩序すべてが...単なるひもの振動によって規定されているなんて。
人を愛する感情と、人を殺す行為とが、同じ振動という現象によって引き起こされていると言えるのか。
ならば、今すぐ私の感情を、正の方向へ変えて欲しい。
ちょっとひもの振動を変えればいいだけのこと。
それなのに、人間は、未だ平和を手にしていない。
住処――地球も守れない。
振動によって規定されているものは、結局その振動を操れないということか。
ならば神とはなんなのであろう。
振動の考え出した産物か。真の振動の始動因か。
思考が大いなる飛躍から戻ってきた。
そのブログは、毎日更新に勤しんでいる。
でも、もぅ一杯一杯なのではないだろうか。
その知人を、良くではないが、少しは知っている。
ブログを見ると、毎日長文を書き連ね、読み手への謝罪で溢れていた。
義務と化してはいないだろうか。
それが義務ではなく、幸せならば、何も言うまい。
その知人がこの記事を読むことはないが、しかし、でも不安になる。
あらゆることに追われている。そんな感じ。
私も、その知人の姿に自分を見た。
そこで省みた。
それがこの散文。
知人も、そこまで弱い人間ではないだろう。
きっと大丈夫だろう。
でも。
私が強いとは言わないが、もし私ほど丈夫でなかったら、とても、......
言葉とは不便なもの。
感情を表現することなど、できようもない。
知人への形容し難きその感情は、更に私の中を渦巻き、そして私の糧となることであろう。
幸とは何か。
それは分からない。
ただ、その人が、プラスの気分に滿たされること。
そんなことだろうと思う。
私の成長を助(たす)くることとなりし君(きみ)よ、君の残せしその言霊(ことだま)は、確かに私の糧となりぬ。願わくば、君に幸あらんことを。
作り始めたときは、とりあえずの興味からだった。
みんな概ねそうだと思う。
始めの頃は、たぶん思うがままに書いてたはず。
でも、読み手を意識していたであろうことは間違いない。
しばらくすると、無意味な記事が増えてきた。
数打ちゃ当たる的。
記事の乱発。
始めの頃の楽しさはどこへやら。
確かに楽しくはあった。やりがいもあった。
でも、義務に感じ、重荷に感じていたこともまた事実。
同時に、ブログの客層が広がった(ように感じた。
マジメな事を書かねば...
そんな重圧。
生徒会長になってからは、益々思った。
猫の毛は、読み手の事を知らない。
でも、読み手は間違いなく猫の毛のことを知っている。
生徒会長として、ある意味では学校の代表であるのに...こんなこと書いていいのだろうか。
そんな自問自答と相反するかのごとく、自虐的かつ無意味な記事。過激な記事。
ふと、更新が止まった。
楽になった。
忙しさを盾に、一瞬更新を止めたのだった。
だが一方で、不安も大きくなった。
ひきこもりの原理。
一度休むと、休む事が普通になり、学校へ行きたくても「登校」できなくなる。
ブログも同じだった。
―――久しぶりに何か書こう。
そう考えると、「久しぶりの記事が駄文ではまずい」そんな気持ちが、益々「投稿」を妨げた。
いつだったろうか。
再びブログが楽しくなり始めたのは。
原点回帰。
行間がやたらと空くようになったのは、読み手への思いやりのつもり。
また駄文を生産する。
でも、以前の苦痛はそれほどでもなかった。
なんて、さも、現在希望に満ち溢れているかのような、またも仮面。
どうも最近鬱らしい。
ストッパーを外すことが猫の毛には出来ない。
体面――こんな小さなことにこだわる自分は、確かに自分で、格好良くはないけれど、利口な生き方だと自分を慰める。
久しぶりの散文。
読み手を無視した感情の散在。
こんな詩的な書き方、あまり好きではない。
でも、最近の記事は感情を消しすぎのようにも感じた。
一時期のそれよりは改善されたかもしれないけれど。
あるリンクのリンクから、ずっと探していた某知人のブログを見つけた。
素直に感情が吐露されている記事。
でも、その裏に隱されている闇は見えないし、掴めない。
とはいえ、感情を隱しつつも表現するそのブログは、猫の毛のそれとは対立するように感じた。
単なる文体の差異なんかではない。
感情の取り扱い方。
そんなものに簡単に影響される自分。
だからちょっと書いてみた。
今日のこの記事は、その知人のブログから考えたこと。
一切合切感情の赴くままに。
読み手は見ていない、と、自白する。
また感情は飛ぶ。
現実が嫌になる日々。
教室が苦痛。
皆もこんな感情をまとって、日々過ごしているのだろうか。
あの笑いに滿ちた教室は、皆芯から笑っているのか。
幸福の匂いを感じるたび、死への恐怖が薄れ、惹かれる。
所詮、死ぬ勇気すらないのだけれど。
こんなこと書くと、もし自分が死んだら警察は自殺と判断するのかな。
なんて馬鹿みたいに思いを巡らせる。
死を軽々しく口にする者は、死なないと思う。
死を軽視しているから。死の恐怖を知らないから。
私も含めて。
鬱。
随分と手垢のついた言葉になった。
自分もその手垢を付けた張本人なのだろうか。
真の鬱に触れたことはあるのだろうか。
今、私が触れている鬱とは、単なる幻影なのだろうか。
人間は複雑である。
だが最近、結局人間の感情は「電気のOnOff」だと思うようになった。
すべて反射。
原子に感情なんてあるのかな。
なんて。
自然科学を追求する人は、一体何を見たいのだろうか。
私は恐くてならない。
自然の真理なんていうけれど、よく気がふれないものだ。
今起きている現象に、逐一理由を付ける。
それで?
人間は、分子を見つけた。
原子を見つけた。
原子核と電子を見つけた。
陽子と中性子を見つけた。
クォークを見つけた。
その先に今、ひもを見つけようとしている。
恐くはないのだろうか。
我々の感情―――喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも、愛も―――すべてが、行動すべてが、思考すべてが、本能すべてが、この社会秩序すべてが...単なるひもの振動によって規定されているなんて。
人を愛する感情と、人を殺す行為とが、同じ振動という現象によって引き起こされていると言えるのか。
ならば、今すぐ私の感情を、正の方向へ変えて欲しい。
ちょっとひもの振動を変えればいいだけのこと。
それなのに、人間は、未だ平和を手にしていない。
住処――地球も守れない。
振動によって規定されているものは、結局その振動を操れないということか。
ならば神とはなんなのであろう。
振動の考え出した産物か。真の振動の始動因か。
思考が大いなる飛躍から戻ってきた。
そのブログは、毎日更新に勤しんでいる。
でも、もぅ一杯一杯なのではないだろうか。
その知人を、良くではないが、少しは知っている。
ブログを見ると、毎日長文を書き連ね、読み手への謝罪で溢れていた。
義務と化してはいないだろうか。
それが義務ではなく、幸せならば、何も言うまい。
その知人がこの記事を読むことはないが、しかし、でも不安になる。
あらゆることに追われている。そんな感じ。
私も、その知人の姿に自分を見た。
そこで省みた。
それがこの散文。
知人も、そこまで弱い人間ではないだろう。
きっと大丈夫だろう。
でも。
私が強いとは言わないが、もし私ほど丈夫でなかったら、とても、......
言葉とは不便なもの。
感情を表現することなど、できようもない。
知人への形容し難きその感情は、更に私の中を渦巻き、そして私の糧となることであろう。
幸とは何か。
それは分からない。
ただ、その人が、プラスの気分に滿たされること。
そんなことだろうと思う。
私の成長を助(たす)くることとなりし君(きみ)よ、君の残せしその言霊(ことだま)は、確かに私の糧となりぬ。願わくば、君に幸あらんことを。
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Comment
無題
地球を人類が守るというのは傲慢な考え方なのでは?別に地球の二酸化炭素の濃度が上昇したって、地球にとってはたいしたことないんですよ。ただ、人類がギャーギャー言ってるだけだし、人類がもたらした結果ですよ。自業自得だと思いませんか?それに人類が地球に守られているだけなのに、その地球を守ろうとは何事ですか?
・・・・・と思いました。
・・・・・と思いました。
無題
「地球を守る」って表現しないほうが良かったかな...
人類が地球を守るなんて事は考えてませんよ。クリリソさんの言う事は同感です。
そうじゃなくてですね...先に「住処」って書いたじゃないですか。つまり、自分のテリトリー(だと思い込んでいるところ)を、(自分の行為によって引き起こしたことにも関わらず)保持することなく、そのテリトリーを失わんとしているな。ってゆう...
いまいち表現しづらいのですが...
とりあえず、猫の毛はそんな傲慢な考えは持っていませんし、概ねクリリソさんに同じ意見です。
―――
やっぱり読み返さずに勢いで書くのは誤解を生むなぁ...
人類が地球を守るなんて事は考えてませんよ。クリリソさんの言う事は同感です。
そうじゃなくてですね...先に「住処」って書いたじゃないですか。つまり、自分のテリトリー(だと思い込んでいるところ)を、(自分の行為によって引き起こしたことにも関わらず)保持することなく、そのテリトリーを失わんとしているな。ってゆう...
いまいち表現しづらいのですが...
とりあえず、猫の毛はそんな傲慢な考えは持っていませんし、概ねクリリソさんに同じ意見です。
―――
やっぱり読み返さずに勢いで書くのは誤解を生むなぁ...
無題
死は不意に来る狩人にあらず
もとより誰もが知る
生なるは死出の旅
ならば生きるとは望みて赴くこと
それを成してのみ死してなお残る
見送る者の手に“物語”が残る
自分の好きな言葉何すけどよーするに仮定が大事ってことっす。そんなんだからそうやって考えてるってことだけでも良いことなんじゃないかと。
・・・自分の真面目な文章何言ってるかわからねぇ・・・
もとより誰もが知る
生なるは死出の旅
ならば生きるとは望みて赴くこと
それを成してのみ死してなお残る
見送る者の手に“物語”が残る
自分の好きな言葉何すけどよーするに仮定が大事ってことっす。そんなんだからそうやって考えてるってことだけでも良いことなんじゃないかと。
・・・自分の真面目な文章何言ってるかわからねぇ・・・
無題
>54.5さん
拜見させていただきました。同じ東華生の方ですね。
リンクの件、了解いたしました。
>漆黒さん
深い言葉ですね。
人間は死を目指して生きる。
でも精一杯生きれば現世の記憶に残る。
ぐらいの事が表面的な意味でしょうか。
こうゆう詩的な言葉を紡げる人になりたいものです。
拜見させていただきました。同じ東華生の方ですね。
リンクの件、了解いたしました。
>漆黒さん
深い言葉ですね。
人間は死を目指して生きる。
でも精一杯生きれば現世の記憶に残る。
ぐらいの事が表面的な意味でしょうか。
こうゆう詩的な言葉を紡げる人になりたいものです。
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